歴史

過去こそが将来の力になると
信じています。

 

1962年、Vishayは1つの単純な製品、抵抗器から始まりました。それはごく小さなコンポーネントでしたが、新時代を象徴するテレビ、より高度な自動車、そしてジェット旅客機での旅行を目指す世界の野心を燃え立たせるほど大きな力を持っていました。世界の未来を定義し、月にさえも行くテクノロジーの裏に、Vishayがいました。そしてすべては1人の男と素晴らしいストーリーから始まったのです。

あらゆる困難に打ち勝って。
Felix Zandman博士のストーリーは、ポーランドに生まれた1928年に始まります。博士とその家族は、第二次世界大戦中、ナチスによる迫害を受けた何百万人もの犠牲者の中にいました。Zandman博士は、内なる力と幸運、そして命を救う善行により生き延びました。ポーランド人のある家族が、戦前Zandman一家が所有していた森の中の家に彼をかくまったのです。Zandman博士は叔父のSenderをはじめ他の人々とともに、床下の穴ぐらで17か月間、隠れ住む生活を送りました。

長期にわたる暗闇の中での生活で、叔父から三角法と高等数学を教わりました。隠れ家を出たZandman博士は、叔父やその他の隠遁者とともに2週間かけてドイツ兵をかいくぐり、最終的に前線のロシア側にたどり着いて安全を手にしました。

Vishay Power Metal Strip®抵抗器
Felix Zandman博士によるスケッチ原本(紙ナプキンにボールペン)、1996年
画像提供アメリか国立歴史博物館、Behring Center(ワシントンD.C.)

革命的なアイデア。
戦後、フランスに移住したZandman博士は、叔父に教わった知識を武器に、ナンシー大学では機械工学、ソルボンヌ大学では物理学の博士号を取得しました。フランスで成功を収めた後、1956年にBudd社がZandman博士を採用、米国に渡りました。

Buddでの在籍中、新しい革命的な抵抗器のアイデアが博士の脳裏にひらめきました。当時の抵抗器はどれも温度変化に敏感であったため、性能に悪影響を及ぼしていました。しかし、博士が生み出した箔抵抗器は耐熱性でした。

市場調査の結果、彼の抵抗器は潜在的市場を持たないことが「証明」されたため、博士は1962年に自らの会社を設立。まだ抵抗器を1台も生産していないときに、Zandman博士は自分の理論が正しいことを確信していたのです。

「最も大事なことは正しい行いである。他の人を利用してはいけない。あなたの側にいる人にどのように接するかが重要だ。それは必ず自分に返ってくる。公正に振る舞い、人の役に立て」。

— Zandman博士、Vishay創業者

取るべきリスク
Zandman博士は社名をVishayとしました。これは、第二次世界大戦中に失った家族を忘れないよう、リトアニアの祖先が住んでいたビシェイ村にちなんだものです。Vishayの創設は大きなリスクでした。しかし、Zandman博士は私財の4,000ドルと、彼のいとこであるAlfred P. Slanerから出資を受けて会社を立ち上げました。VishayはZandman博士と秘書の二人、そしてペンシルバニア州マルヴァーンに建てた4,000平方フィートの事務所で始まりました。Zandman博士はJim StarrとDan Postを技術パートナーとして雇用し、完璧に機能する耐熱箔抵抗器を6か月で製造しました。Vishayはこの新しい抵抗器だけでなく、耐熱ひずみゲージを携えて市場に参入しました。

Vishay Bulk Metal®箔抵抗器は、当時の市場に出回っていたどんなタイプの抵抗器にも上回る性能を持っていました。それは、精度が最優先とされる用途にまさにピッタリでした。箔抵抗器は、電子工学における極めて画期的な進歩でした。航空宇宙、コンピューティング、計装は、Zandman博士の既存価値を打ち砕く技術が関わっていた市場の一例です。創業して日が浅いにもかかわらず、初年度に11万ドルもの売り上げを計上しました。

グローバル業界リーダー
1960年代から1970年代にかけて、Vishayは箔抵抗器、PhotoStress®製品、ひずみゲージ(現在は独立系スピンオフ企業であるVishay Precision Groupの一部)の世界有数メーカーとして着実に成長していき、卓越した品質と信頼性で国際的に知られるようになりました。1980年までには、強力な研究開発部門のおかげでVishayは高い成功と収益を上げるようになりました。80年代、Zandman博士は研究開発を補強し、製品ポートフォリオの拡大につながる一連の吸収合併を行いました。

1998年にはもう一つのマイルストーンを達成します。Gerald Paul博士がVishayの社長就任です。Vishayと前身の会社の柱として1978年から力を尽くしたPaul博士は、2005年には社長兼CEOに就任しました。彼のリーダーシップのおかげで、世界的な景気後退が見られた2008/2009年の激しい経済危機にあっても、Vishayは依然として利益を上げ続けました。

今日Vishayは、工業、電力供給、軍事、航空宇宙、コンピューティング、テレコミュニケーション、コンシューマ、医療アプリケーションなど、ほぼすべての主要セクターで顧客をサポートしています。Vishayの国際的なフットプリントには、南北アメリカ、アジア、ヨーロッパ、イスラエルにある工場と、世界各国の販売拠点が含まれています。技術革新、買収戦略、コスト管理に重点を置いた顧客への「ワンストップショップ」サービス、カスタム設計機能が功を奏して、当社は世界的な業界リーダーとなりました。

未来に向けて
革新は常にVishayのDNAの一部でした。Zandman博士は、今日私たちが生活する世界が、革新的な電子テクノロジーによって構築されることを予測していました。コネクティビティ、モビリティ、サステナビリティなどのマクロ経済成長ドライバーが、Vishayの製品へのニーズを生み出しています。このため私たちは、強力な財務業績と収益性の高い成長を続けながら、これらの機会をとらえる立ち位置を守っているのです。

Vishayが自らをファミリーと呼ぶのは、Zandman博士がVishayを家族のように築き、運営したからです。今日、博士の高い標準と価値観は世界中のVishayスタッフに日々影響しています。Vishayのリーダーシップチームは、Zandman博士の高い基準と透明性への取り組みを受け継いでいます。そしてそれは常に開かれているPaul博士のドアにもつながっています。

Zandman博士は2011年にこの世を去りました。毎年、博士の命日には彼の人生とビジョンを称えています。Vishayに加われば、あなたも彼のレガシーに触発され、「正しいことをする」のがDNAの一部である会社に属していることを誇りに感じることでしょう。

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